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江戸時代になぜあんなに広大な干拓ができたのか?

岡山の歴史の謎を地盤から考える。その2
江戸時代に岡山藩の津田永忠は図のような広大な干拓事業を成し遂げました。一年に換算すると海岸線が20m遠ざかって行ったことになります。この時代になぜこのような大事業が出来たのでしょうか?理由として次のように考えます。
①このころ児島が藤戸のあたりでほぼ陸続きとなり潮流の弱い静かな内湾、児島湾となり河川の土砂が堆積しやすくなった。
②中国地方は砂鉄の産地で盛んに土砂が流された。(かんな流し)
③当時の燃料は薪がほとんどで山の木が盛んに刈り取られ荒廃し、土砂が流れやすくなった。(当時の絵図からわかる)
もちろん堤防の工事では大変苦労したと言われておりますし、津田永忠さんの見識の高さがうかがわれます。